石の上にも三年。
イギリスの物理学者・数学者・天文学者であったニュートン(1642-1727)は、木からリンゴが落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見した。
ひらめきは考え続ける人だけに訪れる。
津軽富士といわれている岩木山の眼下、青森・弘前が舞台。
秋則(阿部サダヲ)は、リンゴ栽培をしている木村家の婿養子。
妻・美栄子(菅野美穂)は木村家の一人娘。
美栄子は、春の風物詩リンゴ樹に散布する農薬が原因で、嘔吐(おうと)を繰りかえしていた。
酷いときには1ヶ月も寝こむ状態。
そんな美栄子の身体を案じた秋則は、世界中、誰もがかなわなかったリンゴの無農薬栽培に挑戦したのだ。
ところが、リンゴの木は1年、2年〜5年、6年と日増しに元気がなくなり、害虫だけが元気にノッコノコと。
そんな木村家には、誰も寄りつかなくなった。
はたして秋則は……。
現代では、リンゴの無農薬栽培が絶対不可能と言われていた。
ニュートンが見たリンゴと現代のリンゴは全く別物。
歴史をさかのぼればスイスでは、4000年前の遺跡から炭化したリンゴが発掘された。
つまり、数千年にわたってリンゴが栽培されてきたということ。
リンゴは、ローマ帝国やギリシャ都市国家そして古代エジブトでもよく知られた果物だった。
原産地はロシア南西部、アゼルバイジャン、ジョージアとの境界にあたるユーカサス山脈の山麓一帯説が有力。
この野生のリンゴは小さく、酸味や渋みが強い。
欧米では、料理などの材料として今でも栽培されている。
18世紀イギリスでは、2つのかけ合わせにによる品種改良が成功。
19世紀のアメリカでは品種改良ブームがおき、大きな甘いリンゴができた。
さらに、農薬が発明されたことにより、病害虫を気にすることなく品種改良ができ、より大きな甘いリンゴができたのだ。
秋則は、農薬の代わりにワサビや酢などあらゆる食料品をリンゴ樹に散布してみた。
ところが、害虫は葉を食べ、病気の正体であるカビや菌も葉の表面に繁殖し、生体機能を破壊した。
葉は植物にとって命の源。
葉緑体(緑色植物の葉に存在する緑色の粒)は、太陽光をエネルギーとし、大気中の二酸化炭素と水からデンプン(ブドウ糖という砂糖の仲間)と酸素を作り出す。
新芽の葉と葉柄(ヨウヘイ)の境界付近には蜜を分泌。
つまり、葉を失うということは結局、枯れるということ。
秋則は学校の実験みたいな状態が何年も続き、周りの人たちからあきれられ、誰も寄りつかなくなった。
実家の両親や兄までが木村家に気を使い、無農薬をあきらめさせようと。
ところが、木村家の家族はどんなに貧乏をしても秋則を応援した。
しかし、なすこと全てがうまくいかず落ち込んでいた秋則は、見栄子に「終わりだなぁ。やめるしかねぇ」とつぶやいたのだ。
すると障子越しに聞いていた長女・雛子(畠山紬)は「そんなのいやだ。やめたら何のために私こんなに貧乏しているの。絶対いやだ」
いつしか、リンゴの無農薬栽培は子供たちの夢になっていたのだ。
秋則は追いつめられ、自殺しようと岩木山の山奥に……。
「あっ、そうか!」
「今まで、どうして自然の植物が農薬の助けを借りずに育つことを不思議に思わなかったんだろう」
リンゴ畑と山とでは、決定的な違いがあった。
山の土は雑草が生えほうだいで、地面に足が沈むくらいふかふか。
土の温度は微生物(カビや細菌)が活動しているため温かく、ある程度深く掘っても同じだった。
リンゴ畑の土は、10センチ深く掘るごとに温度が低くなっている。
それで秋則は、リンゴ畑の土を山の土のように再現しようと雑草をはやしたのだ。
雑草の根は土を耕す。
秋則は親父・木村征治(山崎努)から聞かされていた。
「戦争で南方に行ったとき、雑草のあるところで茄子など作物がよく育った」と。
リンゴ畑はジャングル状態になり、虫が鳴き、虫をカエルが追いかけ、カエルはヘビに追いかけられ、そして野うさぎが走りまわる。
害虫がリンゴの葉に卵を産むと、てんとう虫は、すぐ近くに卵を産んだ。
食物連鎖の誕生!
リンゴ畑の土中にいるミミズや微生物は、有機物と呼ばれる動物の糞や枯葉を分解し植物の肥料と化した。
また、ミミズが土中で動きまわることにより空洞ができ水はけが良くなった。
2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智博士は、静岡・伊東の「川奈ホテル ゴルフコース」で採取した土から「エバーメクチン」という抗生物質を発見している。
この発見により、アフリカの人たちの熱帯病治療に大きく貢献。
2億人の患者が救われたという。
土中の微生物は、土1gに対し数千万〜数億匹いるとされている。
ところが、未だ90%以上が調べられていないらしい。
大発見の裏には必ずと言っていいほど、たゆまぬ努力がある。
「成功した人は失敗を言わない。でも、人より倍も3倍も失敗している」と、大村博士はいう。
常にビニール袋は持ち歩いているらしい。
常に考え続けている姿は、秋則と似ている。
失敗しても何回も何百回も、そして何年も挑戦し続ける ……。
「うめえー。初林檎!」
家族全員笑顔!
無農薬栽培を始めて10年、ようやく春がきた。
親父は、まだ寝ているかのようにベッドで亡くなったが、握りしめていたリンゴは決して離さなかった。
家族全員で勝ちとった『奇跡のリンゴ』
世界で初めて成功した無農薬リンゴ。
あきらめない力「継続は力なり」は本当だった。
それでは、さよならサヨナラ。
追伸
原作者・石川拓治氏の『奇跡のリンゴ』もお薦めですね。
今回ずいぶんと参考にさせていただきました。
[蛾の幼虫]
「紅葉の葉の裏にいた害虫ですが、配列に感激。
自然界のなす術に、ただただ感服」