驚き。
因縁の元プロボクサーが俳優として再会したのだ。
赤井英和、大和田正春、そして大和武士である。
赤井はデビューから12戦連続KO勝ちという大記録を打ち立て「浪速のロッキー」という異名をつかんだ。
そんな赤井と大和田の関係は、赤井が世界タイトル戦の前哨戦に大和田を指名したのだ。
世界ランカーの赤井は、誰もが勝つと信じていた。
ところが、まさかの試合だった。
・1985年2月5日
・大阪府立体育館
・7R 2分48秒
大和田正春のKO勝ち。
赤井は大和田の左フックを右頬に受けマットに大の字である。
脳挫傷の意識不明から奇跡的に命は助かったものの、引退を余儀なくされた。
大和田はその後日本ミドル級チャンピオンになったが、1987年12月14日、5度目の防衛戦で地獄を見たのだ。
相手はその年の全日本ミドル級新人王、大和武士である。
大和田は、1R大和の強烈な右ストレートを顔面に受けダウン。
KOかと思いきや、大和田はゴングに救われた。
試合は2R以降、大和田がもり返し5R、KO勝ちの防衛。
しかし、大和田はこの試合を最後に引退したのだ。
網膜剥離によるタイトル返上である。
ボクシングは恐ろしい。
喜びも束の間、地獄に落ちたのだ。
死と隣り合わせのスポーツ「ボクシング」
監督は、稲垣吾郎主演『半世界』や『亡国のイージス』そして『一度も撃ってません』の阪本順治。
さて、映画では大阪・守口市民体育館でダイナマイトファイター・安達英志(赤井英和)とグレートパンチャー・イーグル友田(大和田正春)の10Rが行われた。
結果は、友田の左フックによるKO勝ち。
安達は再起不能の引退である。
安達は「安達英志ジム」を作り後継者の指導に転向したが、どついて、どついて、どつきまくるボクシングスタイルが練習生に受け入れらずジムを畳むことに。
そんな安達が、ジムのトレーナーであり元日本ウエルター級チャンピオンだった左島(原田芳雄)の影響を受け、もう1度リングに上がる夢を見てしまったのだ……。
阪本監督のデビュー作品『どついたるねん』は、大阪への思い入れが強く感じられる。
監督の性格なのか、生まれ育った環境なのだろうか。
大阪弁が飛びかっていたり、笑いを取っている場面を観てしまうと。
それに、なんといっても安達のボクシングスタイルが浪速らしい。
「どついて、どついて、どついたるねん」と観客を喜ばそうとするサービス精神。
貴子(相楽晴子)の父親であり、安達のボクシングを開花させたジムの会長・鴨井大介(麿赤兒)は、顔の表情を見ているだけで楽しい。
特に困り顔は最高。
声も特徴あり忘れられない。
声といえば原田芳雄が歌うエンディングの『DON’T WORRY』は、声に哀愁が帯びており終わりの場面にピッタリとはまっている。
繰り返し聴きたい。
安達の回想場面に映し出される男の背中は、何を意味するのだろうか。
少年時代に見た、シャドーボクシングをしている左島の背中だった。
子供の時に憧れた背中が歳とともに変化をし、ある時からもの悲しさを感じるようになる。
自分の背中は、直接みることが出来ないけれど。
安達は、周りの反対を押切って再びリングに上がってしまった。
対戦相手はかつての後輩、清田(大和武士)である。
安達は前試合が脳裏に浮かび、死を想像するようになった。
セコンドにつく幼なじみの貴子やジム会長・鴨井そしてトレーナーだった左島も同じように死を感じていた。
試合前に貴子は左島に懇願している。
「試合をやめさせてほしいんや」と。
左島は「清田だって死ぬかもしれません。リングとはそういうものでしょ。
僕にもあなたにも試合を止める権利はありません」と言ったのだ。
「アダチ、どうした。アダチ、がーど」
「エイジ、くりんちやー。エイジ、エイジー」
「アダチ、アダチー」
貴子はリングに上がり、ロープをつかむと同時にタオルを投げてしまった。
英志が試合に負けて勝負に勝った瞬間である。
「タカコ、ナンデトメタンヤ、ドアホー」
それでは、さよならサヨナラ。
追伸
喜劇であり悲劇でもある『どついたるんねん』は、阪本作品の一推しです。
これからもパワーをいただくために観続けます。
最後のセリフは、安達の代弁をしました。
怒り声ですが安達は満足顔です。
監督 :阪本順治
脚本 :阪本順治
出演者 :安達英志(赤井英和)/鴨井貴子(相楽晴子)/鴨井大介(麿赤兒)/左島牧雄(原田芳雄)/清田さとる(大和武士)/イーグル友田(大和田正春)
公開 :1989年11月11日
上映時間:110分
1989年第63回キネマ旬報ベスト・テン
▪︎日本映画ベストテン第2位
▪︎助演男優賞 :原田芳雄
▪︎助演女優賞 :相楽晴子
▪︎新人男優賞 :赤井英和
1989年第32回ブルーリボン賞
▪︎作品賞