津波といえば、誰もが東北を思いだすのではないだろうか。
2011年3月11日14時46分。
日本観測史上最大規模マグニチュード9.0。
最大震度7。
三陸沖、宮城県牡鹿半島東南東130km。
東日本大震災発生。
この書は吉村昭(1927~2006)が、三陸沿岸を津波について尋(タズ)ね歩いた記録である。
初版は1970年に『海の壁三陸沿岸大津波』の題名で、中公新書から刊行。
『関東大震災』では菊池寛賞を受賞。
菊池寛は小説家でもあったが、株式会社文藝春秋の創業者でもある。
1896年(明治29年)6月15日。
三陸沿岸に大津波発生。
震源地は宮古測候所から東南方(ヒガシナンポウ)東経145度北緯39度。
原因は海底に発した陥没とされている。
三陸海岸一帯が、前例のない大漁だったという。
60mの深さを持つ、すべての井戸水が濁ったとも。
そして沖合では「ドーン、ドーン」と音がするのを耳にしたともいう。
・青森 死者343名
・宮城 死者3,452名、流失家屋3,121戸
・岩手 死者22,565名、負傷者6,779名、流失家屋6,156戸
岩手は、海岸から遠く離れた山間部にも多くの人が住んでいたが、被害はなかった。
つまり、海岸に住む人のほとんどが、死亡または負傷したことになるという。
救援活動は目ざましく、日本赤十字社をはじめ医師、看護師たちが、続々と災害地に自費で入ったという。
しかし、食料・衣料不足は深刻な問題であった。
食料は岩手県庁が貯蔵米を、そして函館で米を大量に買いつけ被災地に放出。
が、被災地の飢えを救うのには、ほとんど効果がなかったのだ。
衣料は梅雨期のため、雨の日の夜は寒気で身を寄せあって震えていたという。
また、助かったものの精神的打撃を受け記憶を失った人や、津波の恐怖で発狂した人も多かったと。
津波は海底地震や火山爆発などが原因で発生する。
特に三陸海岸は、リアス海岸のため津波の増幅が激しい。
リアスは入り江と言われ、北上高地の尾根が三陸海岸にせり出し、尾根と尾根の間は太平洋に向かって「V」字型に広がっている。
海底は、湾入り口から陸に向かって急に浅くなる。
そのため、津波は間口の広い湾入り口から狭い陸に、そして海底の深いところから浅い陸に向かっておそってくる。
おそってきた津波は行き場を失い、陸づたいにせり上がり大津波と化してしまう。
3.11は10m以上の防潮堤をかるく乗りこえてしまった。
千葉・房総半島と神奈川・三浦半島が東京湾口を挟んでいるため、湾入り口が狭く中は広い。
つまり、リアス海岸のように湾内に進むにつれ波が増幅することはないとされている。
しかし、大津波がなくても地震による沿岸の液状化や火災そして空洞だらけの地下など予断を許さないはず。
1933年(昭和8年)3月3日深夜2時32分津波発生。
震源地は明治29年と同じ三陸沖地震多発地帯。
被災当日の三陸地方は、積雪が海岸をおおい雪もちらつく状態だったという。
着るのもきず飛び出した生存者たちは、寒気にふるえ多くの凍死者を出したとも。
気温はマイナス10度近くあったと言われている。
特に岩手の田老と乙部は、津波の被害が悲惨をきわめたらしい。
明治29年は、23m強の高さを持つ大津波が田老と乙部全戸数・336戸を流失させた。
・死者1,859名
昭和8年は、流失人家428戸。
流失をまぬがれたのは、高地にあった役場や学校、寺院とわずかに民家だけだったという。
三陸は地震より津波の被害が凄すぎる。
3.11の東日本大震災も、津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。
1960年(昭和35年)5月23日午前4時15分。
南米チリ、大地震発生。
チリの地震波が、約22時間30分要して三陸海岸に「のっこ、のっこ」と、やって来たという。
太平洋を挟んだチリと日本の距離は18,000km。
三陸沿岸の人々の反応は、いつもと違った。
三陸には、津波の前兆がなかったのだ。
津波は、地震をともなって起きるものとされていた。
気象庁ですら、チリの津波襲来を予知していたにもかかわらず、警告を発していなかったのだ。
しかし、チリ地震の津波被害は防潮堤や明治29年、昭和8年の暗闇だった時とは違い、朝方だったのも手伝い避難も早く人命損失が少なかった。
岩手県下は
・死者61名
・流失家屋472戸
確実に過去の歴史に学び、被害は縮小した。
なのに、3.11の東日本大震災は、自然が人間に圧倒的な大差で勝ってしまった。
この書には、記録の大切さを教えられる。
例えば、明治29年以前の津波の歴史や津波におそわれた実体験者の生々しい声が列記されていた。
それに、田老尋常高等小学校生徒の作文が記されており、その場の状況がはっきりと目の前に浮かび上がった。
子供の代、孫の代まで伝えられたとしても、全く異なる歴史になっていたと思う。
伝言ゲームを想像すれば分かるはず。
全く別物に変化する。
何度もなんども三陸海岸・岩手に足を運んだ故吉村は……。
「津波は、また必ずやってくる。自然とはそういうものだ」
「いのちを守り 海と大地と共に生きる岩手 そして東北」を、応援しよう。
それでは、さよならサヨナラ。
追伸
昨日(2021/5/1)は、宮城県沖に震度5強の地震がありビックリです。
一瞬、本の内容が頭をよぎってしまいました。
大事にいたらず良かったです。