第1回「日伊ことばの架け橋賞」受賞
茶といえば「利休」。
利休といえば、秀吉の茶頭(さどう)を務めながらも切腹を命じられ、自決した謎の人物である。
茶席で一番のごちそうは、掛け軸であるという。
確か白金台の「畠山記念館」は、茶室で一服ができ、展示場では畳に正座をし、両手を畳につけ、45度の角度で掛け軸を見上げたような記憶がある。
著者は小学5年生の時、親につれられフェリーニ監督の『道』という映画を観たが、さっぱり分らなっかたという。
ところが大学生、30代半ばと観るたびに「別もの」にへ変化したらしい。
お茶の世界も同じで、段階的に見えてきたという。
そんな気づきを15章だてで紹介。
お茶はまず「形」それから「心」が入る。
「習うより慣れろ」ひたすらお点前*(おてまえ)を繰りかえす。
例えば、棗*(なつめ)の蓋を帛紗*(ふくさ)で「こ」の字に拭(ふ)いて清めたり、「中水、底湯」といって水は真ん中、湯は底からくむなどの、作法を繰りかえす。
お点前*
茶をたてる作法・所作のこと
棗*
抹茶を入れるための木の容器
帛紗*
男物のハンカチぐらいの大きさで、絹の布地を二重に縫い合わせたもの
棗といえば友人の家に大きな木があり、子供のころ良くうす茶色の実を食べていた記憶がある。
茶事は、濃茶や薄茶を服するために、懐石の汁、飯、向付*(むこうづけ)と始まり、お酒も楽しみ、それから椀盛、強肴*(しいざかな)、吸物、八寸*、香物*(こうもの)と続く。
向付*
なますや刺身のこと
強肴*
煮物料理のこと
八寸*
24cm四方の杉で作った低いふちのある盆に盛りつけた料理のこと
香物*
漬物のこと
懐石料理を食するのは、濃茶のカフェインが、からっぽの胃を強く刺激するので和らげるため。
長いながい豪華な食事が終わると、濃茶点前が始まるまで庭に出て自然と触れあい、優雅な気分をあじわう。
茶事は一服のお茶を楽しむために、半日がかりであるという。
ふだんは懐石の部分が省略され、デザートの茶菓子を食べる場面から始まる。
濃茶では主菓子*(おもがし)、薄茶では干菓子*(ひがし)を食べる。
主菓子* / 生菓子のこと
干菓子* / らくがんのこと
干菓子は、新潟上越・大杉屋惣兵衛の「六華(むつのはな)」が絶品。
口どけのいい和三盆糖でつくられ、鈴木牧之著『北越雪譜』より写した、15種類の美しい雪の結晶が並ぶ打菓子。
他にも良寛の書を写した軽い口どけの麩焼せんべい「天上台風」。
小川未明著『赤いろうそくと人魚』を表した餅菓子。
夏目漱石著『坊っちゃん』にも登場するささ飴。
越後の名将上杉謙信にちなんだ羊羹「第一義」「春日山」。
まだまだ続く「この春」「この秋」「雪あかり」そして「天心」と、最後は看板の越後代表銘菓、家伝の水飴に寒天を加えた「翁飴」。
「雨の日には雨を聴く。雪の日には雪を見る。夏には夏の暑さを、冬には身の切れるような寒さを味わう。……どんな日も、その日を思う存分味わう。お茶とは、そういう『生き方』なのだ」という。
人生、むだな日などない。
良い日も悪い日も気づきに変わり、好日となるのだ。
「一期一会」の気持ちでするようにともいう。
人間は100%の確率で必ず別れが訪れる。
それがいつ訪れるか分からないから、そういうのだと思う。
茶室に入る前から季節を感じ、掛け軸や生け花、釜、そして懐石に季節を。
さらに茶碗を観る、手にとる、口につけて味わうの一連の動作が亭主との絆を深めるのだろうか。
茶碗に口をつけ、味わった瞬間、この世の雑念が吹っ飛び、無の世界にいくのだろうか。
それでは、さよならサヨナラ。