小津安二郎を敬愛するヴィム・ヴェンダース監督は、とんでもない作品を作ってしまった。
最初の数分、いや数十分、セリフなしで映像だけが流れていたのだ。
どこまで続くのか不安と興味が……いりまじる。
ヴェンダース監督は、1945年8月14日ドイツ生まれ。
医者の息子として育ち、大学では医学、哲学を専攻するも断念。
その後は、彫刻を学んだりと紆余曲折しながらも1967年ミュンヘンテレビ・映画大学に入学。
映像制作を学び、映画評論家もスタートさせる。
そして1970年に「都市の夏」で監督デビューを。
主な作品は、役所広司も好きという「パリテキサス」、ドキュメンタリーの「東京画」そしてカンヌ国際映画祭で監督賞に輝いた「ベルリン・天使の詩」など数多の作品が……。
特に本作は、カンヌ国際映画祭で主演の役所広司が最優秀男優賞を受賞している。
ところで、平山役を演じる役所広司は、毎日、淡々とすごしていた。
朝、近隣の人が掃く竹ぼうきの音で目が覚め、布団をたたみ、歯をみがき、そして朝食は、自販機のコーヒーという生活なのだ。
それから、“東京スカイツリー”が見える押上から渋谷まで車で移動と。
仕事は何かというと、渋谷の公共トイレ清掃員。
トイレというけれど、有名な建築家がデザインしている。
たとえば、安藤忠雄や隈研吾そして2020年の設置時に「透明トイレ」として話題になった建築家・坂 茂の作品。
ガラス張りなので外側から見ると中が丸見え、なのに内側から鍵をかけると不透明になる仕掛け。
あとは建築家・伊東豊雄の「Three Mushrooms」。
名のとおりキノコの形が特徴。
これらをふくめ渋谷区には、斬新な公共トイレが17ヶ所も存在する。
見学を兼ね、訪れてみるのも良いのでは。
[c] 2023 MASTER MIND Ltd.
話が少し脱線してしまったが、平山は仕事が終わると地元に帰り、銭湯、居酒屋そして寝る前の読書を1日の締めとしている。
それから休日はというと、古本屋、コインランドリー、そして馴染みのママがいる居酒屋に足繁く通う、ごく普通の生活である。
古本屋では、幸田文の「木」を購入。
後日、書店で見ると、裏表紙に「樹木を愛でるは心の財産。父露伴のそんな思いから……」と始まっていた。
(C)2023 MASTER MIND Ltd.
ただ、ヴェンダース監督がこれで終わらせるはずがない。
都会の雑踏で、トイレの便器を黙々とみがく平山の姿が、なんだか清々(スガスガ)しく見え、不思議な光景だ。
そんな平山は、毎朝、必ず植木に霧吹きをし、出勤時の玄関先では、何気なく空を見上げ、何かを確認している。
昼は、近くの神社で昼食をとり、いつも木漏れ日を眺める。
そして、自然とふれるときの平山は、なぜか笑顔になるのが印象的だ。
特に“木”への愛着が感じられる。
また、車の中で音楽を聴いているときも笑顔だ。
ある日、家出をしてきた姪(メイ)のニコ(中野有紗)は、平山の仕事を初めて見たとき、怪訝そうな表情だった。
ところが、平山のひたむきな姿に魅せられたニコは、なんと翌日から手伝っているではないか。
自然が人の心を惹(ヒ)きつけるように、純真なニコはオジに懐(ナツ)いてしまったのだ。
そして意外やいがい、平山は木漏れ日をフィルムカメラで撮るのが趣味だったのだ。
ニコは、オジに「木が友達?」と尋ねている。
そしてニコは、木漏れ日を見つめニコニコと楽しそう。
木漏れ日といえば、Mr.Children「花言葉」の歌詞の中にこんな言葉が「木漏れ日が微笑みを連れてきてくれるから」と。
まさに木漏れ日を見ている、平山とニコの表情そのものだった。
しかし、楽しい日々は幾日(イクニチ)と続かない。
(C)2023 MASTER MIND Ltd.
ニコの母(麻生祐未)が迎えにきたのだ。
お抱え運転手つきの高級車で。
平山が、今の生活を続けている原因がなんとなく分かった。
ニコの母が平山に話しかけた言葉「父に会って」に対し平山は、首を振っただけだった。
平山の意思の強さがうかがえる。
「ラストを見る限り、会わない、会えないのではないかな」。
会うとしたら残念ながら亡くなってからでは。
最後の場面は泣ける。
こみ上げる平山の表情には、共感してしまった。
「それにしても最初はどうなるかと思いましたね」。
映像だけが延々と流れ、最初の言葉が、トイレで泣いている子供に話しかけた「どうしたッ」だった。
「ホッとしましたね」。
ところが平山の話す相手は、業務の都合でやむないときと、心を開いた人だけだった。
過去に何があったのか……。
役所広司の表情だけで、2時間映画を制作したと言っても過言ではない、ヴェンダース監督はスゴイ。
ところで、何が幸せかと聞かれたら。
「普通の生活なんでしょうね」。
可もなく不可もない。
それでは、さよならサヨナラ
追伸
2023年、映画ベストワンは「PERFECT DAYS」で決まりと思いきや、山崎貴監督の「ゴジラ-1.0」(ゴジラマイナスワン)も最高に良かった。
全くジャンルが違うので甲乙つけがたい。
「実はこれらの映画が公開されるまでは、藤井道人監督の「ヴィレッジ」に決めていたんですけどね」。
4位は、宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるか」と是枝裕和監督の「怪物」に決定。