牡蠣は、森に育(ハグク)まれていた。
タイトルの『森は海の恋人』は、著者の畠山重篤が宮城・気仙沼に住む歌人・熊谷龍子にお願いしたもの。
「海を守るため、大川上流の岩手・室根山に、広葉樹の植林運動を計画しているので、人の心を打つような標題を」と。
熊谷家は祖父・武雄、父・一六の歌人一家。
武雄(1883-1936)は、歌人・前田夕暮の『詩歌』に北原白秋や石川啄木らと連載していた。
畠山は、気仙沼・大島で牡蠣の養殖を営む家で育ち、小学校高学年では、海から牡蠣を持ちあげる手伝いをしていたという。
リアス式の三陸地方は牡蠣の養殖が盛んで、北は岩手・宮古湾から南は宮城・気仙沼、石巻湾へと続いている。
特に石巻湾は、牡蠣の種(種苗)を日本国内だけでなく、アメリカ西海岸やフランスへと供給。
日本は北海道をはじめ、南は三重、岡山、熊本そして日本海側の石川と新潟へ。
◼︎石巻湾はなぜ、種牡蠣の産地なのだろうか
1.宮城・北上川の河口であるため
牡蠣は海水の植物プランクトンが餌。
植物プランクトンを育む養分は、北上川流域にある森林の腐葉土を通って河川に運ばれ、海に流れ着く。
2.北上川河口近くに万石浦(まんごくうら)という汽水(海水と河川水が混ざり合っている場所)があるため
汽水と言えば静岡の浜名湖は、うなぎの養殖で有名。
東海道新幹線に乗った時、「なぜ富士山が見える方向に海があるんだろう」と勘違いするくらい大きな湖だった。
日本一大きな汽水湖、北海道・サロマ湖はホタテ、島根・宍道湖はシジミの養殖が盛ん。
ところで、万石浦は周囲が広葉樹の森でかこまれ、森から流れ落ちる淡水と北上川上流から巡ってくる淡水が混ざりあい、実に多くの生物が生息している。
それに、遠浅で懐が深いため、長期輸送に耐えられる牡蠣を育てるための、抑制棚*が設置できる。
昭和30年代に到来した石油・石炭の燃料革命は、人々の暮らしを激変させた。
薪や炭の需要は減少し、落葉広葉樹林を変わり果てた姿にしてしまった。
広葉樹林は伐採され、松や杉など針葉樹植林だけが国から補助金を……。
ところが、外国産の木材が大量輸入され国内産の木材価格は下落*。
林業の担い手は減り、山は荒れ、雨が降ると土は流され保水力のない山となり、土砂災害が発生。
農業用水や都市の生活用水までもが不足。
ダム建設を行うが、川流域の生態系が変わり動物や魚がいなくなってしまった。
川には工場用水が流され、汚染された海産物を食べ続けた人間は、水俣病(熊本、新潟)に悩まされたのだ。
気仙沼湾では海苔の養殖が盛んであったが、昭和38年を境に奈落の底に転げ落ちることに。
原因は気仙沼市の加工場が垂れ流す魚の煮汁(ベトと呼ばれる油のかたまり)が海苔網にからみつき、その部分の海苔は消滅。
そして、牡蠣は赤潮プランクトン発生によって真っ赤な身となり売り物にならず、海岸からは小魚や小動物の姿が消えたという。
畠山は、海にとって森や川がいかに大切かを経験的に感じ取り、気仙沼湾に流れ込む大川上流域へ足を運ぶ機会が多くなったという。
[室根山]
1988年から大川上流に広葉樹の植林を開始。
広葉樹林の山から流れる水は、どんなに大雨が降っても川は濁るとなく、魚が満ちあふれているという。
まさに「緑のダム」と言われる所以(ゆえん)。
また、広葉樹であれば萌芽更新といって、切株から再び新しい芽が育つので植樹の必要がない。
さらに、森林の腐葉土を通ってできた河川水の中に含まれる養分は、海に運ばれ海水に漂う植物プランクトンの餌に。
畠山は勇気づけられる出来事があった。
当時、北海道大学水産学部で海洋化学を担当していた松永勝彦教授に出会えたこと。
松永教授によると「牡蠣の養殖には川の水が大切であり、川の安定には上流の森林が大切である」という。
植林は、無駄でなかったという裏付けがとれたのだ。
「海の食物連鎖の基となっている植物プランクトンや海藻の成育には、陸上の木や草と同じように肥料分(窒素、リン、ケイ素)が必要であり、このほかにもごく微量であるが、ミネラルと呼ばれる鉱物質の養分が必要である」と松永教授はいう。
この場合の鉱物質とは鉄分のこと。
森から川に流れる水は、これらの成分が含まれている。
地方で歌人一家がいたり、山に植樹をする人がいたりと地道に努力をしている人を発見すると、なぜか勇気づけられる。
昨今、地方から聞こえるニュースは、大雨での土砂災害や地震の震源地がどこなど明るい話題がない。
先日の7月3日(2021年)、熱海での土石流然り。
土石流は、5度程度のほとんど傾斜が分からない場所でも発生する。
土砂災害は、土砂の割合が多いと土砂崩れと言い、水の割合が多いと土石流と呼ぶ。
畠山は室根山に植林をする活動だけで終わらず、大川上流の小学校を訪問し牡蠣の養殖を子供たちに体験させたいと、申し出て実現させている。
その後、北海道大学の松永教授に教えを乞い、岩出山町立上野目小学校で教師をしている三浦先生から、社会の公開研究授業をしたいという話をもらっていた。
森林が川を仲立ちとして、海の生物の成育に関係していることを新聞で知ったという。
「森林*のはたらき」について学ぼうというものだった。
この書の中には、山、川、木、湾、鳥、山菜、魚介と次からつぎへと珍しい名前が登場し、自然の豊かさを改めて思い知らされた。
もし、自然の恵みが森や海から無くなったとしたらどうなのだろうか。
食料がなくなる
もし、植物が森や海から無くなったとしたらどうなのだろうか。
酸素がなくなる
(植物は空気中の二酸化炭素(CO2)と地下から吸いあげた水(H2O)の一部、水素(H2)と、そして太陽光エネルギーとで、栄養分となるでんぷん糖を作る。利用しない酸素(O)は空気中に送りだしている)
森を管理することにより土砂災害は減る!
CO2も減る!
森、元気!
川、元気!
海、元気!
そして、牡蠣元気!
森と川と海は循環している。
水(雨)によって!
それでは、さよならサヨナラ。
抑制棚*
抑制棚とは、万石浦の浅瀬に楢(なら)や櫟(くぬぎ)の杭いを立て、干潮になったら干上がり、潮が満ちてきたら海水が浸るくらいの高さに孟宗竹(もうそうだけ)を並べて棚を造り、その上に横一列、種牡蠣を並べて置くというもの。
種牡蠣は毎日、干潮になれば陽があたり、風に晒され、満潮の時だけ水の中で餌を採るという苛酷な条件の中に置かれている。
木材価格は下落*
NHKの朝ドラ『おかえりモネ (第22回)』では直径20cmの針葉樹が1,600円で落札。広葉樹の楢は、値段がつかず破砕してチップ行きの予定だったが、モネ[清原果耶]の提案で学童机に。
森林*
◼︎日本の森林は国土の68.4%、2493.5万ha
◼︎国別森林率 (2020年7月 OECD加盟国)
▸1位 フィンランド
▸2位 スウェーデン
▸3位 日本
森は海の恋人
▪︎著者 :畠山重篤
▪︎発行所:文春文庫
▪︎発行日:2006年9月10日
畠山 重篤(はたけやま しげあつ)
1943年 中国上海生まれ
「牡蠣の森を慕う会」代表